史跡
仙人峠
細越の沓掛を登り口として、東海岸の釜石へ越える標高八八七㍍の嶮しい峠。藩政時代には釜石から海産物、遠野から米や雑穀を輸送する重要な交通路であった。明治になって釜石の製鉄所が発展するとさらに頻繁になった。大正四年(一九一五)に開通した岩手軽便鉄道は、この峠にトンネルを堀ることをあきらめて索道を作って物資の輸送にあたった。沓掛は交通の要衝の集落として栄え、休み茶屋、駕籠屋などがあり、峠頂上の茶屋では水も売っていた。昭和二五年(一九五〇)国鉄釜石線の全通、昭和三四年(一九五九)の仙人有料道路トンネルの開通によって、仙人峠の面影はなくなった。,,
三光坊(さんこうぽう)の墓,佐生田部落、細越三六地割付近。仙人峠の頂上に仙人堂があった「遠野物語」四九にある「仙人の像を祀りたる堂」の別当が三光坊である。仙人堂の御神体は高さ六〇㌢程の木像で右腕は欠け左足には木の枝が継がれて痛々しいが、今は佐生田のお仙人堂に移されている。ここより国道二八三号線を渡り一〇〇㍍程南側に三光坊の墓碑があり、「松嶺法師三光坊之霊位・元文口年十月一四日」と記されているが、元文とは西暦の一七三六~一七四〇年の頃である。