つなぎ稲荷
平倉と板沢の境近く、繋部落にある稲荷社は、遠野南部家の家老福田氏の内神といわれている。福田氏は平倉、平野原地域を領知していたが、以前に二戸に勧請していた稲荷を、元禄(一七〇三)この地に移したと伝えられ、書上げには「綱木稲荷」とある。この場所は来内へ越える牛坂(うしざか)に近い交通の要衝であった。