Connecting the future 人と人を、人と地域を結び地域の元気を創造する
岩手軽便鉄道は、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった小さな米国製機関車ボールドウィン号が、二、三両の客車を引いて最高時速二〇㌖で走っていた。明治二四年(一八九一)九月、上野から青森まで開通した現在のJR東北線と、北上山地を横断して三陸海岸を結ぶ鉄道として計画され、大正四年(一九一五)一一月三〇日、花巻-仙人峠間六四・八㌖が開通した。険阻な仙人峠の壁は破れず、沓掛ー大橋間は索道を架設して貨物輸道を行なったが、乗客は徒歩かカゴで峠を越え、大橋からはすでに開通していた釜石鉱山鉄道を利用して釜石へ出た。上郷町内には遠野側から、関口(無人)、岩手上郷、平倉、足ヶ瀬、終点仙人峠の五つの駅が設けられていた。この鉄道は昭和一一年(1936)八月国鉄に引き継がれ、その後仙人峠を迂回するルートで花巻-釜石間が新たに建設され、昭和二五年(一九五〇)一〇月全線開通に伴ない、国鉄最後の軽便線として営業を続けた遠野-仙人峠間もこれを期に廃止された。今その跡をうかがうものはないが旧駅舎の場所は次の通りである。仙人峠駅・現在の仙人トンネル入口広場、足ヶ瀬駅・上郷町細越三八地割二二付近、軌床の一部が市道に利用されている。平倉駅・上郷町平倉三九地割一八付近、岩手上郷駅・上郷駅細越八地割三付近、軌床の一部が市道に利用されている。関口駅・上郷町板沢四地割六六付近。