史跡

赤羽根の番所跡(ばんしよあと)

赤羽根部落を通る国道三四〇号線西側の荻野酒造㈱入口の手前。南部藩と伊達藩がはじめて境を接したのは天正九年(一五五一)このことで、阿曽沼氏が遠野領奪還をあきららめた慶長六年(一六〇一)二月以降は、奥羽山脈の駒ヶ岳から、東は唐丹湾の鷲巣崎に至る長大な藩境が形成された。このため両藩は交通の要衝に当る各地に番所を設け、藩境の警備と人や物資の取り締まりにあたった。遠野には上郷の赤羽根、小友の荒谷・鮎貝・鱒沢の遊井名田の四カ所に番所があった。赤羽根は気仙郡へ通ずる盛(さかり)街道の要衝で、伊達藩の二度成木(ふたなぎ)番所に対応して設けられたもので、番所役人は本藩から二名の武士が六〇日交替で勤め、番所近くの者が添番人(そえぱんにん)となり荻野・新沼などの名が見える。