史跡
赤羽根(あかばね)古戦場
遠野市と気仙郡との境界、赤羽根峠頂上付近から赤羽根側に広がる高原湿原一帯。慶長五年(一六〇〇)七月、遠野領主阿曽沼広長は南部利直に従って最上へ出陣した。南部氏はその留守に、さらに鱒沢広勝と結託し、上野右近、平清水駿河らを誘い、十月に横田城を奪い、五輪峠で待ち伏せし領主広長の帰路を断った。広長は止むなく一時世田米に逃れ、妻の実家に潜み再起の機会を待った。翌六年(一六〇一)春三月広勝は機先を制し、赤羽根峠を越えて住田(すみた)の平田(ひらた)まで攻め入ったが、広勝は戦死し、軍勢は追い返された。九月満を持した広長は領地奪還の兵を進め、赤羽根峠で遠野勢と激突し、遠野勢の刃金館主平倉新兵衛は討死、板沢館主板沢平蔵は重傷を負い間もなく歿したという。しかし広長の遠野奪還はならず、再度一二月小友の樺坂峠から攻め入ったが成功せず、伊達政宗の保護を受け終焉したとつたえられている。