溶鉱炉跡(ようこうろあと)
わが国近代製鉄の夜明けは、安政四年(一八五七)一二月一日大島高任が大橋高炉の出銑に成功したことに始まる。片羽山を囲んで大橋、青木、佐比内に次々に高炉が建設された。佐比内には万延元年(一八六〇)に二基が建設され、二四〇人余の従業員を擁し、一時は銭座(ぜにざ)も設けられ明治七年(一八七四)まで操業された。その後佐比内ダムが建設され遺構は水封保存されている。佐比内ダムの東方には、鉄鉱石を露天掘した赤岩鉱山が遠望できる。高炉の一部の石材は、上郷中学校の校門、慶雲寺の山門として残されている。